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すまいとくらし
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第6回 なぜ大学病院を辞めて予防医学を始めたのか?(2)

予防医学とワーカブル80

第6回 なぜ大学病院を辞めて予防医学を始めたのか?(2)
米国への留学で自分の人生を見直す
 大学病院にいて、患者さんとのまともなコミュニケーションを取れなくなった私は体調不良に陥り、検査をやっても、ついイライラして患者さんに当たってしまう若き駄目医者だったのでした。

 この状態を打破するように、入局後4年目で無理矢理米国に留学したのでした。留学中の1年間は、大学病院でやっていた放射線科の業務を全くやらず、自分の人生を毎日振り返るチャンスができました。米国は、私のことなど誰も知らず、学歴や日本で医者であることが何の役にも立たない世界でした。最初は不安でたまらなかったのが、段々自分のことを誰も気にかけない世界がとても楽になってきました。まるで新たな人生を生き直しているような気持ちになり、どんどん米国人の友人を作っていったのでした。医者である自分よりも、自分自身の人間性だけで、人とつきあった体験をしたのでした。懐かしい体験でした。遠い昔、とても自分が小さかった頃、多くの友人達と無邪気に遊んでいた時の感覚に似ていました。

 米国でお世話になった放射線診断科の教授や講師達ともよく話をし、くだらないジョークで笑い合いました。1年間で米国の西海岸にあるサンディエゴ、南部のアトランタ、山の中のシャルロツビル、東海岸のボルティモアと世界でも有名な4病院を3ヶ月ずつ回ったのですが、そのいずれの病院の教授も個性的でした。

 バージニア州の山の中にあるシャルロッツビルのテグマイヤー教授は、赤毛の薄くなった髪を7、3に分け、先が上向きに跳ねた口ひげをはやし、しょっちゅう怒鳴る、太っちょ教授でした。彼は始終パイプをくわえ、口から出る言葉は嫌みばかりでしたが、私は英語がよく分からなかったので、何を言われても平気で笑っていました。そんな彼の、胸から腰まである放射線防護の鉛のエプロンは傑作でした。青色のエプロンの中央、ちょうど胸に当たる部分には、目一杯大きな黄色の五角形の布地が貼り付けてあり、その中心には、これまた大きな赤でSのマークが入っていたのでした。そう、そのマークはまさに映画のスーパーマンのSマークそのものだったのです。マークの理由を尋ねると『俺はこの科、いやこの病院にとって、スーパーマンだからだよ』と平気で教授は笑っていました。日本なら、患者さんや他の医者からどんな風に見られるかを気にして到底できないことを向こうの教授達は平気でやっていたのでした。でも研究や診療に関しての追求の仕方は、日本の教授達とは比較にならないほど凄いものでした。いつも朝の7時からカンファレンスを行い、7時半から患者さんへの検査を始めていました。夜は夜で午後8時、9時まで研究室にこもり、レポートをチェックし、論文を書いていました。その働くバイタリティーは並大抵のものではありません。日本と違って医局での飲み会や教授を囲んでの食事会など、滅多にありませんでしたが、聞きたいこと、話したいことは直接その現場で聞き、話し合い、コミュニケ-ションの不足を感じたことはありませんでした。

米国と日本の医療システムは全く違う
 米国で教授が遅くまで帰らないので、私も若いレジデント達と医局に残っていると、どの教授達も研究室から出てきて『おまえ達は早く帰れ!』としょっちゅう怒鳴っていました。『俺は仕事があるから残っている。仕事の無いおまえ達は、かわいい女の子を見つけてデートするか、家に帰ってテレビでも見ていろ!』と言うのでした。それまで教授というと、日本では准教授、講師以下の医師が仕事も研究もやり、その報告を受けて指示を出すのが仕事で、実際の診療にはあまり熱心に関わらない印象しかなかったので、びっくりしました。しかも下の医師が教授よりも先に帰って良いなんていうのは、それこそ天と地がひっくり返るくらい驚いたものです。

 ところが後で分かったのですが、米国の教授達の場合、患者さんを診る度に特殊なチャージ、つまり特別診療費をその患者さんに請求できるのでした。だから働けば働くほど米国の教授達は豊かになるのです。日本では、国民皆保険の名の元、名前の通った立派な教授が直接診察、手術をしようが、国家試験に通ったばかりのペイペイの医者がやったとしても、同じ診察料もしくは同じ手術代ですから、上の先生方はやる気にならないのは当然です。

 最近オバマ大統領が米国民に皆保険制度を取り入れようと、必死になっていますが、それによって患者と医師とのコミュニケーションが損なわれ、医療の質が落ちるのは目に見えています。なぜなら国民皆保険にすれば医療費は抑制されるため、多くの患者さんを診なければならなくなるからです。そのため、今の日本での3時間待ち3分診療ほど酷くなくても、それに近い状態になることが容易に想像できます。

患者さんと医師とのコミュニケーションには、質と時間の両方が必要
 米国での手術や特殊検査のための説明では、必ず応接間のような落ち着いた個室で、患者さんと医師、医師の補助だけしかいません。完全にプライバシーが守られ、リラックスした状態で行われます。しかも最低30分間はその患者さんのために教授達が時間を取り、どんな質問にも受け答えするのでした。

 その様子は私の日本で得た医療の常識を覆し、これこそ理想の医療の姿と感じました。教授からの十分な説明と明確なやり取りの後では、患者さんの顔色は明らかに違っていました。話を聞く前は、日本での患者さん同様に不安を抱えた表情ですが、教授とのやり取りの後は、前向きに生きる意志が伝わってくるほど、見違えて生き生き見えました。そこでは検査の通りすがりに「早期癌ですよ、おめでとうございます」といった、言い放しの医療は全く無かったのです。米国に来て初めて、あの胃癌患者さんには悪いことをしたと心から思いました。

 理想と思える米国の医療では、医者と患者がお互いに面と向かい合い、医者が患者さんの反応をしっかりと見定めた上で、早期癌があることをしっかり伝えます。さらには患者さんがどのようなことでも医者に質問し、完全に理解できるまで医者が答え、お互い納得のいく医療があったのでした。こんな医療をやりたいという気持ちになったのが、私の留学で得た最高の成果でした。ただし、その時には医療の世界で何をやっていくかは見つからず、そのまま日本に帰ってきたのです。

日本での野戦病院での体験で医師として蘇る
 日本に帰ってきてからは仕事が面白くてたまらない状態でした。何しろ、世界でも最新の放射線診断の仕方やインターベンショナル・ラディオロジーといって、カテーテルを使っての血管の中から行う最新治療を、観察し、習得してくるというのが留学の目的でしたから、1年以上癌を見つけるための検査を全くやらなかったのです。いくら世界的に有名な4つの病院を回ったからといって、実際に患者さんに触れず、遠ざかって見ているだけの生活には飽き飽きしていました。1年も経つと、早く日本に帰って、検査がしたいという気持ちで一杯になっていました。

 ですから帰国後、すぐ医局から2年ほど地方の野戦病院に行くように命じられた時に喜びました。その野戦病院に行ってからは、水を得た魚のようにたくさんの仕事をこなしました。

 留学前と違って、放射線診断科の仕事が楽しくて仕方なかったのでした。なぜならその野戦病院は、大学病院と違って小さい分、外科、内科、放射線科が協力し合って、患者さんを治療していくといった本来の医療の理想型になっていたからです。その病院で早期癌を見つけると、その場で患者さんにお願いし、内科や外科の外来で結果を聞く前に、手術に必要な検査を先取りして、無理に予約を入れてもらうのでした。もちろんその患者さんに癌とは告げません。内科や外科の外来に行き、癌の疑いがあることを聞き、そこで初めて手術に必要な検査予約を取るのを、私の方で癌だと思った瞬間に、次の検査の予約を取ることで、外来で結果を聞くまでの時間約3週間が短縮できるのでした。この3週間ばかりの時間短縮が、早期癌を進行癌にしないためには案外馬鹿にできないのです。それによって早期癌を進行癌になる前に手術に持ち込める数が大分増えました。

 大学病院だったら、余計なことをしてと疎まれるのが、その野戦病院では外科や内科の先生方からすごく感謝されました。当然無理に予約を入れますから、普段の件数より多く検査をやることになり、残業も多くなりました。でもその頃に、単なる早期癌の発見だけでなく、自分の力で患者さんを早期癌で救うことの喜びを知ったのでした。その喜びを一度知ると、それは良い意味でやみつきになり、何にも代え難い至福として意識下に刻みつけられるのでした。それは23年後の今でも、その至福を感じます。

前人未踏の予防医学で開業
 でも、それでも進行癌の人は治すことができず、癌が全身に浸潤して死んでいくのでした。また、せっかく早期で胃癌を見つけ、早く手術をして命を助けたと思っていた人が、酒の飲み過ぎで脳梗塞になり、半身不随になって病院に舞い戻ってくるのを診て、悔しい思いをしました。自分が主治医だったら、絶対酒をやめさせて、元気に過ごさせたはずだと思い、今の専門分化した医療に限界を感じたのも事実でした。

 地方の野戦病院での2年は瞬く間に過ぎ、大学病院から戻るよう言われたのでした。その時決心したのが、開業でした。

 しかも普通の開業では面白くない。癌や脳梗塞、心筋梗塞などを予防に重きを置く科で開業しようと思ったのでした。なぜなら、私が選んだ放射線診断科では、脳腫瘍か脳梗塞なのか区別するために脳のCTスキャンも診ましたし、脳の血管造影もやりました。心臓だけは循環器内科と心臓外科がやっていたので私の範疇に入っていませんでしたが、血管造影を放射線診断科で、さんざんやっていたおかげで、動脈硬化というものを肌で直接体験し、心筋梗塞の予防にも自信がありました。また幸い循環器内科の専門の先生も来てくれることになったので、万全の体制で開業できたのでした。

 そこで、まだ当時では、日本でも珍しかった予防医学科を標榜し、20年後の今日に至ったのです。現在、予防医学人間ドックを受診し、3ヶ月に一度予防のために通院されている方が全部で850名になっています。

病気は予防できる
 この20年間の850名の方を診てきた経験から言えるのは、予防のために生活習慣を厳しく見つめ、それを受診者の人と正しく改善することによって、癌も脳梗塞、心筋梗塞を起こす受診者は極端に少なくなるということです。大学病院時代には癌を中心にした、病気を見つけることで至福を感じていたのが、まるっきり変わってしまいました。

 今は予防医学人間ドックをやった受診者の方が、癌が無いこと、さらには緊急で入院や手術を受けなければならない病気が無いこと、そのものに喜びを感じます。さらには最初動脈硬化がきつく、あと数年後には脳梗塞か心筋梗塞を起こす可能性の高かった受診者が何年間も当院に通っているうちに、段々と動脈硬化が改善し、病気のリスクが減ってきたのを診ることは、喜びの上に鳥肌の立つほどの感動を覚えます。

 米国で学んだように、コミュニケーションには質と共に時間も大切なことを知っているからこそ、毎回の診療で一人の受診者の方に20~30分も真剣にお話しさせて頂いています。すると1日せいぜい16名の方しか診ることはできません。普通のクリニックのように1日50、60人もの患者さんを診ることは到底不可能です。

 でも予防医学人間ドックを通し、受診者の方の心身ともにしっかり診て、じっくり話していると、一人ひとりが家族のようにとても近くて、大切な存在に感じられます。家族が病気になるのは悲しいことです。家族が何も病気が無く、健康な時には喜びを感じるのが、人間としては自然でしょう。

 そして家族としての受診者が、病気を起こさないどころか、病気になりそうなところが改善し、80歳まで元気で仕事ができる『ワーカブル80』を一緒に想像することは、この上無い至福のひとときなのです。
 
2010/04/20

医師。予防医学の第一人者。慶應義塾大学医学部卒。米国の大学病院にて、最新の放射線医学、早期予防及びストレスマネジメントを学び、早期発見を超えた予防医療を実践。

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