
|
 |
 |
 |
今年も軽井沢に賑わいが戻って来た。
この間まで閉ざされていたあちこちの別荘の雨戸が、7月半ば頃からだんだんと開いてきて、8月に入ると別荘の滞在数はピークを迎える。
盛夏は軽井沢が最も華やぐ季節で、毎年必ず夏に軽井沢を訪れる常連達が、今年も新幹線や関越道で大挙して軽井沢へ押し寄せて来た。普段はひっそりと静まりかえっている泉の里の裏通りからも、早朝から行き交う人々の話し声が聞こえてくる。
ゲリラ豪雨があちこちで猛威をふるった今年の梅雨も、海の日を待たずにあっさりと明け、いきなり日本列島のいたるところで連日35度を越える炎暑、酷暑、熱帯夜が続くので、この人の流れは必然だ。
しかし、軽井沢と言えども今年の暑さは極めて異常で、最高気温は連日30度を超える真夏日となっているが、こんな異常な夏でも軽井沢の真価は夕暮れ時から発揮される。
ヒグラシの鳴き声が聞こえてくる時刻ともなると、涼やかな風が離山方向から吹き始め、クーラーはまったく必要ない。
涼しさのピークは明け方で、うっかり窓を開けたまま寝入ってしまうと、最低気温が10度近くまで下がる朝もあるから夏風邪をひきかねない。
霧下気候(きりしたきこう)
さらには、例年だと8月には平均20日間も「霧下気候(きりしたきこう)」と呼ばれる現象で、昼となく夜となく濃霧が発生するが、クールミストサウナのようなその涼しさは例えようもなく、至福の時間となる。
若き日の山口瞳は、軍需成金の父、正雄が戦前千ヶ滝西区に所有していた6千坪の別荘に入り浸っていたとのことで、当時の軽井沢をよく知っていたが、晩年の日記風エッセイ『男性自身』で「夏の軽井沢は、朝夕はヒンヤリしている。日中、ひなたは暑く日陰は涼しくて桃源郷のようだ」と表現した(別荘は敷地内にから堀や池があり、新潟から豪農の家を移築するなどして贅を尽くしたものであったという)。
なお、敷地面積6千坪といえば、この7月に金賢姫が滞在した鳩山家一族の敷地面積もおよそ6千坪あるという話である。
別荘見学の季節
日本を代表する軽井沢は近代建築物の宝庫である。
明治以降、多くの有産階級人の別荘が建築され、この設計には有名建築家が携わった。
遠くレーモンド、ヴォーリズ、吉村順三から近年の隈健吾に至るまで、その作品は数え出したらきりがない。
素晴らしいのはその作品群が現存し、建主や承継人がその別荘の使用を続けていることだ。だから建築に興味を持つ人々は、ガイドブックを片手に軽井沢へ別荘見学ツアーにやってくる。
ところが、別荘は普段どうしても厳重に戸締まりがされ、無粋な雨戸が立てられているので、その外観意匠は寒々としている。
しかし、夏ともなると別荘オーナーが1年ぶりにその雨戸を開け放ち、夕暮れには門灯がともって、小窓からもあかりが漏れてくると、別荘は建築家が考えたとおりのプロポーションを取り戻す。
数寄屋の大家と呼ばれる吉村順三の自邸別荘は1962年に建築されたが、主亡き後の現在でも、軽井沢銀座の最も奥まった二手橋東詰近くにひっそりと建っている。
多くの吉村ファンから珠玉の名作と呼ばれる別名「小さな森の家」は、若き建築家の卵達の熱い視線を受けて、今日も誇らしげに佇んでいる。
軽井沢のシンボル浅間山
日本百名山に数えられる浅間山は四季を通じて軽井沢のシンボルだ。
麓まで真っ白い新雪で覆われた新雪の朝も、秋の三段紅葉の頃も、春先の箒で掃いたような筋状に残る雪模様も、いずれの姿もこれこそ浅間山だと感じさせるが、男性的な夏山姿も美しい。
5月下旬まで鯉の雪形が残っていた浅間山は、7月に入るとすっかり夏山の装いに衣替えを済ませる。
火口に近い赤茶色と麓の濃いグリーンのコントラストは夏山特有の色合いで、夏雲がかかった山容は時間を忘れて見惚れるほどだ。
気になる噴火活動だが、ひと頃は噴火警戒レベルが3だったが、この4月からレベル1と落ち着いてきたので、火口から500メートルの前掛山までは登山ができる。
浩宮皇太子も試みたという浅間山登山にチャレンジする好機が到来した。
小諸馬子歌で浅間山の噴煙について「今朝も三筋の煙立つ」と歌われて名高いが、私の見るところ煙はいつも1本で、どうしても3本には見えないから、登って確認するよりなさそうだ。 |
|
| |
| 2010/08/04 |
 |
|
 |
|
|
 |
|
|