レッツプラザホーム > 資産運用 > 独身の叔母から遺産を相続
世の中には「持つ者」と「持たざる者」がいます。 「持たざる者」からみれば、不動産の悩みなんて贅沢な悩みに見えるでしょう。 でも、今は「不動産を持っているだけでバラ色」とはいきません。 不動産はうまく活かして初めて、持ち主をハッピーにする資産に「なる」のです。 このコラムでは、そのための頭の整理方法と問題解決のヒントをご紹介します。 さて、今回は38歳の聖子さんのお話です。独身の叔母さまが亡くなり、聖子さんに青山のマンションと7,000万円の現金が譲られることに……。
「65歳で亡くなった叔母の弁護士から連絡があったときは、本当に驚きました。叔母が、青山のマンションと7,000万円の現金を私に遺したと言うのです。涙が止まらなくなりました。母に電話したら、『真紀子(叔母)は、あなたを自分の娘のように可愛がっていたものねえ。真紀子の意志なんだから、ありがたく受け取りなさい』と、声を詰まらせていました。 良妻賢母タイプの母と違い、叔母は大胆で、感性が鋭く、恋多き女性でした。妻子ある人と恋愛して地元を飛び出し、東京で美術を学んだり、アメリカ人の恋人について渡米して事業を興したり、波瀾万丈の人生でした。帰国後は翻訳の会社を経営していました。私は、東京の大学に進学すると、叔母の青山の家に入り浸るようになりました。そこには有名な文学者や財界人も出入りしており、叔母の人脈の広さに驚いたものです。『人生は一度きりよ』が口癖で、いつも私の背中を押してくれました。叔母は、私の憧れの存在でした。 末期癌と分かった後も仕事を続け、最後はホスピスで、私に看取られて65年の生涯を閉じました。生涯独身、生涯自由人でした。遺言には、『お金のために働くという鎖(くびき)を外してあげるから、今度こそ自由に飛びなさい』とありました。私は独身で会社勤め。ベテランとして重宝されていますが、仕事自体は専門性もなく、平凡な毎日を送っている間に38歳になっていました。 賃貸マンションを引き払って、叔母のマンションに移ろうかと思いましたが、私には贅沢すぎます。それに、この出来事をきっかけに自分の人生を考えるようになりました。好きで細々と続けて来たことがあります。できればその道を極めたい。この機会に東京を離れ、自然のなかで暮らしたい。ただ、今の安定した暮らしを変えることが不安で、なかなか踏み切れないのです。」
叔母さまは素晴らしい女性だったようですね。あなたに遺した遺産と遺言は、あなたを新しい世界に旅立たせるための贈り物。「自由に生きなさい!」という、叔母さまのメッセージと深い愛情が込められています。この贈り物を安定収入に変え、好きな道で独り立ちを目指してはどうですか。どんな世界も必死で10年頑張れば、道は開けるもの。安定しているように見える会社勤めだって、今後どうなるか分かりません。定年退職まで17年間、今と同じ日々を送るか、好きな道を志すか、今が決断のときです。 もし、聖子さんの不安が経済的な問題ならば、取り除くことができます。青山は人気のある場所ですから、賃貸に出せば、現在のお給料程度の賃貸収入は得られるでしょう。加えて7,000万円を頭金に、収益不動産を購入して運用すれば、長期安定収入も得られます。 不動産の透明性は高まっており、立地と用途を慎重に選んで借入金割合を低くすれば、リスクは最小限に抑えることができます。また、東京の収益不動産は値下がりしている上に、これまでプロが独占してきた物件も個人が購入できる状況です。手堅い投資物件としては、駅から数分以内の中古分譲マンションやアパートなどの居住用不動産が挙げられます。ただし、これからの不動産経営は、プロをパートナーにして総合的に判断する必要があります。不動産会社には地主や富裕層の資産運用をバックアップする部門がありますので、一度相談してみてはどうですか。 もし、聖子さんの不安が経済的なことではなく、新しい世界に挑戦することへの不安だったら、叔母さまに代わってこの言葉を送りましょう。「人生は一度きりよ」と。生涯最後の日を迎えたとき、悔いの残らない道を選んでください。叔母さまが多くの人々を惹き付け、最後まで毅然としていらしたのは、たぶん、それを実践してきたからでしょう。そう、「人生は一度きり」。だからこそ、精一杯、自分らしく生きようではありませんか。
不動産ジャーナリスト。1978年、青山学院大学卒。「住宅画報」編集、「住宅新報」記者を経て1995年に独立、専門誌や経済誌を中心に住宅・不動産関係の記事を執筆する。