迎賓の地として、エンターテインメントの聖地として、
歴史を重ねてきた日比谷
日本の近代化をリードし、エンターテインメントの中心、ビジネスの一大拠点として発展してきた日比谷の歴史をご紹介します。
江戸時代
日比谷は、もともとは日比谷堀と呼ばれた江戸湾につながる海でした。 徳川家康の時代に埋め立てが進み、外桜田と呼ばれる地域となりました。
1843年
江戸時代の日比谷。有名大名の武家屋敷が立ち並ぶエリアでした。
明治時代
明治維新以降、大名屋敷跡に欧化政策を象徴する建物が次々と建てられ、日比谷は日本の近代化をリードする進取の精神に満ちたエリアになりました。
1883年
明治16年には、諸外国の国賓や外交官をもてなす社交場として「鹿鳴館」が完成。
1890年
明治23年には東洋随一の大ホテルと 称された「帝国ホテル」。
1894年
明治27年には、三井不動産にもゆかりのある「有楽町三井集会所旧館(日本館)」が完成。
1903年
明治36年には、日本初の洋風近代公園である「日比谷公園」が誕生しました。
昭和時代
昭和に入ると、劇場や映画館などが次々と建てられ、日本のエンターテインメントの中心地として大きく発展を遂げていきました。
1929年
昭和4年には、関東大震災の復興のシンボルとなった「日比谷公会堂」が完成。“音楽の聖地”と呼ばれるようになりました。
1930年
華やかな日比谷のイメージを象徴する建物として三信ビルディング」が竣工。2層吹き抜けのアーケードやアールデコ様式のディテールなど、非常にデザイン性の高いオフィスビルとして親しまれました。
1934年
昭和9年には「東京宝塚劇場」や「日比谷映画劇場」が誕生。“映画・演劇の街 日比谷”の幕が開かれました。
1960年
「日比谷三井ビルディング」が竣工。ビル建設技術上のさまざまな難題をクリアして完成した建物で、当時、東洋最大級のビルとして知られていました。
1963年
戦後には、「芸術座」や「みゆき座」などがオープンし、昭和38年には当代最高の劇場空間と評された「日生劇場」が完成しました。
2007年以降
多くのオフィスビルが建てられ、ビジネスの一大拠点となった日比谷。老朽化などの影響で、古い建物などは閉館しつつも、日比谷の歴史を受け継いだ新たな施設やイベントが次々と生まれています。
2007年
日比谷を象徴する建物として多くの人に親しまれてきた「三信ビルディング」が老朽化のため閉館しました。
2008年
三信ビルディングの跡地を期間限定で、周辺の人々が利用できるオープンスペース「日比谷パティオ」に。オフィスワーカーをはじめ、家族連れやカップルなど、多くの人々でにぎわいました。
2011年
日比谷のみならず、日本を代表するオフィスビルとして知られた「日比谷三井ビルディング」が閉館しました。
2014年
日比谷エリアが東京圏として初となる国家戦略特別区域として認定。
2015年
「(仮称)新日比谷プロジェクト(現・東京ミッドタウン日比谷)」新築工事着工。