迎賓の地として、
エンターテインメントの聖地として、
歴史を重ねてきた日比谷
日本の近代化をリードし、エンターテインメントの中心、
ビジネスの一大拠点として発展してきた
日比谷の歴史をご紹介します。
迎賓の地として、
エンターテインメントの聖地として、
歴史を重ねてきた日比谷
日本の近代化をリードし、エンターテインメントの中心、
ビジネスの一大拠点として発展してきた
日比谷の歴史をご紹介します。
江戸時代の日比谷。有名大名の武家屋敷が立ち並ぶエリアでした。
明治16年には、諸外国の国賓や外交官を
もてなす社交場として「鹿鳴館」が完成。
明治23年には東洋随一の大ホテルと
称された「帝国ホテル」、
明治27年には、
三井不動産にもゆかりのある
「有楽町三井集会所旧館(日本館)」が完成。
明治36年には、
日本初の洋風近代公園である
「日比谷公園」が誕生しました。
昭和4年には、関東大震災の復興の
シンボルとなった「日比谷公会堂」が完成。
“音楽の聖地”と呼ばれるようになりました。
華やかな日比谷のイメージを象徴する建物として
「三信ビルディング」が竣工。
2層吹き抜けのアーケードやアールデコ様式の
ディテールなど、非常にデザイン性の高い
オフィスビルとして親しまれました。
昭和9年には「東京宝塚劇場」や
「日比谷映画劇場」が誕生。
“映画・演劇の街 日比谷”の幕が開かれました。
「日比谷三井ビルディング」が竣工。
ビル建設技術上のさまざまな難題を
クリアして完成した建物で、
当時、東洋最大級のビルとして知られていました。
戦後には、「芸術座」や
「みゆき座」などがオープンし、
昭和38年には当代最高の劇場空間と評された
「日生劇場」が完成しました。
日比谷を象徴する建物として多くの人に
親しまれてきた「三信ビルディング」が
老朽化のため閉館しました。
三信ビルディングの跡地を期間限定で、
周辺の人々が利用できるオープンスペース
「日比谷パティオ」に。
オフィスワーカーをはじめ、
家族連れやカップルなど、
多くの人々でにぎわいました。
日比谷のみならず、日本を代表する
オフィスビルとして知られた
「日比谷三井ビルディング」が閉館しました。
日比谷エリアが東京圏として初となる
国家戦略特別区域として認定。
「(仮称)新日比谷プロジェクト
(現・東京ミッドタウン日比谷)」
新築工事着工。